ツカサ工場跡地

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光の中に椅子を置いて。「すずめの戸締まり」

※ATTENTION※
本記事には映画『すずめの戸締まり』のネタバレが多く含まれます。

閲覧は自己責任でお願いします。

 

最初に。自分の感想はあくまでも個人のバイアスがかかったものとなっており、また先の震災で被害に遭われた方がこの映画を観なくても、あるいは観た後で苦しい気持ちになったとしても、それらはすべて正しい行動、正しい感情であると考えております。本記事は何者かを拒む意図で書かれたものではなく、本記事における”すずめの戸締まり”評は全て筆者個人の感情に帰属するものである事をここに記します。

 

2022年12月13日

 

新海誠監督最新作「すずめの戸締まり」を観た。

f:id:inoue1456:20221214082805p:image映画『すずめの戸締まり』予告②【11月11日(金)公開】 - YouTube

 

前もって東日本大震災の事を扱った映画だという告知を受けていた為、それなりに身構えて観に行ったのですが、自分としては思っていたよりも間口が広く開かれていて、息がしやすい映画だと感じた。

作家性の匂いみたいなものがかなり脱臭されていて、エンタメとして素敵な仕上がりになっているフィルムであると同時に、緊急地震速報が鳴った時の胸がザワザワする感じや、震災直後の世界の風景が一変してしまった時の感覚を11年ぶりに追体験出来た事も含めて、すずめの戸締まりは新海誠監督のこれまでの積み重ね(キャリア的な意味で)が前提にあって我々に向けて届けられた作品なんだろうと思いました。

遥か彼方の遠くで毎日沢山の人が死んでいる世界に慣れきってしまっているせいで、人の死について真剣に考える機会と言うのは普段なかなか無いのですが、そうして気付かぬうちに心の扉を閉めて見ないふりをしていた、そんな世界の裏側の話を見せられたような感覚。震災の折、あるいは常に生と死の狭間にある人間の生活と営みに向けて送られた祈りのような映画でした。

 

新海「僕自身がいま一番恐れているし一番関心を抱いていることは何かというと、日常が急に失われてしまうことなんですね。見慣れてきた風景がガラリと変わり人生を劇的に変えられてしまう、その最も身近な体験が災害だと思うんです。そう考えると、主人公たちがその状況をどう乗り越えるのか、という物語を作り続けてきたのは必然なのかなと思います。」

ダ・ヴィンチ2022年12月号 『新海誠が開く新たな扉』」新海誠のインタビューより抜粋

ちなみに新海誠監督はもう国民的アニメーション映画監督なので堂々と劇中で「ルージュの伝言」を流していました。それ許されるんだ。猫もいるしさ…とかキャラクターに言わせておきながらジブリ意識してないですは正直無理あると思うけど。まあ俺はそんなお前のチャレンジ精神溢れる姿勢が大好きなんだが…。

 

 

ここでは自分の大まかな感想と演出面で感じた事を後々見返す為に備忘録として記しておこうと思います。

どうやら人間はどうやっても忘れてしまう生き物らしいので。

 

3年前に天気の子の感想も書いてるのでよければそちらもよろしくお願いします。稚文ですが当時なりの文章力で精一杯書いてます。僕は天気の子を観た時帆高に感情移入しすぎて劇場で号泣しました。

 

 

これはかなり色々な人が発信している事なのでサクッと言及しますが、東京にミミズが現れた時の写し方はかなり白石晃士作品オマージュだなと思いました。

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f:id:inoue1456:20221214084919j:image比較用

霊体ミミズの時点でなんとなく察していた部分はあるけどやっぱり東京上空が舞台になるとビジュアル的な盛り上がりも含めてより一層白石晃士オマージュを感じられて良かったですね!

 

ホラー演出的な部分で言うと、東京で要所が黒塗りにされているミミズの文献が出てきた後で東北にて真っ黒に塗りつぶされたすずめの日記が出てきて扉の絵に繋がるシーンはめっちゃホラー的な演出やっててかなりグッときました。

あのホラー的な演出と連結していたからその後の幻想的なシーンが際立って良い味になってたのかなと。

ああいうあえて観客の気持ちを一旦真逆の環境に持っていく事でその後の見せ場を盛り上げる演出方法を僕は毎回「アラバスタの前にドラム王国挟むやつ」と呼んでおります。正式名称が知りたい。

 

 

次に扉、今作の最重要モチーフ。僕は鑑賞中ずっと文豪ストレイドッグス DEAD APPLEの事を思い出してました。

f:id:inoue1456:20221215072547j:image文豪ストレイドッグス DEAD APPLE宣伝用ポスター

f:id:inoue1456:20221214122208j:image文豪ストレイドッグス DEAD APPLE 入場者特典色紙

『「文豪ストレイドッグス DEAD APPLE」は「扉の物語」でもあります。貴方の「心の扉」は何処に繋がっていますか?』監督 五十嵐卓哉

『消えない傷、それが異能力 映画はラヴレター』脚本家 榎戸洋司

文豪ストレイドッグス DEAD APPLEも主人公が自身の記憶の扉を開けてそれでも生きたいと願ったいつかの過去と対峙する話なのと、同時に死者への祈りの物語でもあるので、すずめの戸締まりが好印象だった方には是非見て欲しいのですが、最近僕はオタクが必死におすすめしたアニメをちゃんと時間割いて素直に見て感想まで返してくれるのはお母さんだけだと言う事に気付いたので皆さんは別に無理して見なくても大丈夫です。

 

ちなみにすずめ、タイトルを最初と最後の二回色を反転させて出す事で作品の手ざわりを大きく変える演出もめちゃくちゃ文豪ストレイドッグス24話のやり方で良かったですね。

 

新しい環境に身を投じて人と出会う事を”扉を叩く”と表現する様に、すずめの戸締まりはロードムービーさながら人との出会いの連続で話が進んでいく映画だったなと思います。人と繋がると言う事は当然その先でアクシデントが発生して繋がりが途切れそうになってしまう事もあるのですが、すずめの戸締まりは割とその辺りも演出面で効果的な心理描写を使って丁寧に描いていたような気がしました。

草太さんが要石になってしまった後東京の地下ですずめのスマホの充電が切れる演出や、東北に向かう最中おばさんと口論になった時車のミラー越しに二人の間に水滴が流れ落ちる演出など、結構直感に訴えかける形でちゃんと”繋がれなくなってしまった断絶”を描いていて印象深かったです。

タイトルの出し方とスマホの演出は僕も自分の作ったMVでやった演出だったのでめちゃくちゃ意図が理解(わか)ってニヤニヤしちゃいました。ここら辺天気の子を観た時よりもオタク強度が高まっているのを感じて自身の成長を実感しましたね。*1

f:id:inoue1456:20221214150440p:imagef:id:inoue1456:20221214150444p:imagef:id:inoue1456:20221214150448p:imagef:id:inoue1456:20221216090539p:image『骸のあすに』©︎ 2021 けんたあろは

すずめの持ち歩きアイテムとして椅子をモチーフに選んだ理由、多分少女が一人で旅をする中で社会的に”居座れる”即席の場所があると観客としても安心感があるという理由で持ち運べる子供用の椅子を選んだのかなと思いました。ビジュアル的な意味で。それでも高校生のすずめにはもう小さすぎますけども。

本記事は制作者の意図を探る事を目的としたものでは無いので、ここから語る事は完全に想像であり補完なのですが、終盤すずめが常世でやった過去の自分を抱きしめて祝福と励ましの言葉を送る行為というのは、結構クリエイターが普段から作品を通して無意識のうちにやっている事なんじゃないかなとも思いました。

「あなた(自分)は一人じゃないよ」という。

そういう意味で新海誠という作家、ないし岩戸鈴芽という少女が震災を巡る旅の果てに辿り着いた”自分はどうすれば善いのか”の答えが、椅子という形で過去の自分に”心の居場所”を与えてあげる事なのだとすると、かなりスッキリと全体的な話の筋(テーマ)が通るなと考えています。

 

すずめにとって不可逆的な喪失を体験してもなお子供用の椅子が最小単位の心の居場所になっており、それがいつしか好きな人の”そのもの”となって現れ、失い、また取り戻した様に、あるいはそれは人によってぬいぐるみだったり音楽だったり漫画やアニメだったりもすると思うのですが、きっとあまねく光の中で皆がそれぞれの場所に安心して居座れるような世界がずっと続いて欲しいなと思いました。

そしていつか大人になって椅子を持つ必要がなくなった時、光の中に椅子を置いていってきますと言って別の場所へ旅立っていけたなら、きっとそれは素敵なことなので。

 

新海「僕はアニメーション映画を通じて何を表現したいのかというと、若い人たちに”大丈夫だよ”って言いたいんです。それ以外に興味がないというか、僕に何か言える事があるとしたらそれしかない。ただ、大丈夫という言葉って別に根拠がないわけですよね。それでもその言葉が絵空事ではなく、きちんと実感を伴って伝わるような物語があるとしたらどんなものなのか、次こそはもっとうまく”大丈夫だ”と言いたい、そして観客に”自分も大丈夫だ”というふうに思ってもらいたい、それだけを20年近く考え続けてきた気がするんです。」

ダ・ヴィンチ2022年12月号『新海誠が開く新しい扉』」新海誠のインタビューより抜粋

 

すずめの戸締まり、個人的には心が軽くなって背筋が伸びる、とても善い映画でした。何よりすずめの明日に希望が持てる風景を沢山見れて嬉しかったです。ありがとうございました。

あの震災は無かったことには出来ないし、今も尚、あるいはこれからも我々の生活と地続きの場所に”悲しい記憶”として存在し続けると思うのですが、それでも記憶に戸締まりをして明るい未来を臨む事が出来るのならば、それが新しい時代へ向けられた新海誠のまなざしそのものならば、”震災映画”としての「すずめの戸締まり」の価値はそこにあるのではないかと思いました。

 

それじゃあ、いってきます。



 



*1:慢心せずにこれからも頑張ります。

全ての狂える子供たちへ。「天気の子」

※ATTENTION※

本記事には映画『天気の子』のネタバレが多く含まれます。

その為閲覧は自己責任でお願いします。

 

2019年7月20日

新海誠監督最新作『天気の子』を観た。
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『天気の子』を観た後、僕は感動のあまり浦和PARCO八階にあるカフェ…には入らず、その隣にあるソファに座って10分程浦和を一望していた。その日の浦和の天気はどんよりとした曇り空だったのだが、僕の心の中は真っ青に晴れ渡っていて、きっと僕は『天気の子』に救われていた。

 

『天気の子』について思考する折、僕はどうしても最後のシーンについて考えてしまう。最後のシーン、陽菜は何に対して祈っていたのか、帆高は何に対して「大丈夫だ。」と言ったのか。

それはきっと人の数だけの解釈があって、人の数だけの答えがあるのだろうけれど、この記事では僕の考えている解釈と答えを、自分の気持ちの整理の為に書き写して置きたいと思う。

 

『天気の子』では、大人の世界と子供の世界が、東京タワーとスカイツリーと言う「大人と子供それぞれの繋がりのシンボル」を使って効果的かつ鮮やかに描き分けられている。

物語の序盤、須賀に食事を奢らされた後帆高が船から東京を一望するシーンでは東京タワーがそびえている。これは家出をした帆高が東京と言う「大人の世界」に来たのだと言う事を表している様にも見える。

帆高が須賀の事務所で働き始め、陽菜との劇的な出会いを果たすと、今度はスカイツリーが出現するカットが多く出て来る様になる。これは東京と言う「大人の世界」において、帆高と言う子供に居場所が出来たと言う事を諮詢しているのだろう。帆高が始めて陽菜の家に行った時に夜の東京(陽菜の家の真横で電車が走っているカット)でスカイツリーが煌々と輝いていたのは、子供同士の繋がりや営みが祝福されている様で何だか嬉しかった。

帆高と陽菜が須賀の依頼を引き受け娘の為に天気を晴れにするシーンでは東京タワーが描写される事になる。帆高や陽菜から見れば須賀はやはり「大人側の人間」で、帆高と陽菜はそんな大人の世界、家族と言う繋がりを持つ須賀の大人(親)としての一面に触れる事になる。

『天気の子』において最も効果的に東京タワーとスカイツリーが描写されるシーンは、帆高が陽菜や凪と一緒に警察、つまりは社会制度から逃げる事を決意するシーンだ。

帆高が島に戻らない事を決意し、「一緒に逃げよう!」と叫んだ後、土砂降りの東京の夜景の中で一際輝きを放つ東京タワーとスカイツリーがかなりの秒数を使って描写される。これは大人の世界と子供の世界の対立構造の直喩であり、帆高と陽菜と凪が東京と言う「大人の世界」その物に対して反抗する事を諮詢する、『天気の子』のその後の内容においてとても重要なカットとなっている。

 

少し話を変えるが、僕は帆高と陽菜と凪がラブホテルで一夜を過ごすシーンが凄く好きだ。

食事と入浴は限りなく日々の営みに根ざしている行為で、それを社会から追われバラバラにされかかっている子供たちが共有しているのは、「擬似家族」と言うワードを連想せずにはいられない。

帆高と陽菜と凪は、それぞれが元の家庭で享受していた物を捨てた(無くした)身でありながら3人でラブホテルに泊まり、擬似家族として一晩限りの営みを共有していた。それはどんなに切実で幸せな営みだっただろうか。考えるだけで胸が締め付けられる。

「神様。お願いです。これ以上僕たちに何も足さず、僕たちから何も引かないでください。」

 

 

その後『天気の子』では、空の彼方へと消えてしまった陽菜にもう一度会う為水浸しになった線路を走る帆高が描かれる。

陽菜にもう一度会う為に有刺鉄線を越え線路を走って行く帆高、そんな帆高に向かって叫ぶのは、須賀の姪である夏美だ。

「帆高ー!走れー!!」

ああそうか、『君の名は』を通過した新海誠はついにここまで…。

電車や線路は、しばしばアニメーションにおいて「人生の運行、またはその速度」といった物を演出する際に描かれる事が多い。

例えばそれは『未来のミライ』に出てくる未来の東京駅であったり、『秒速5センチメートル』の大雪のせいで電車が遅延するシーンであったり、新海誠監督の前作『君の名は』においても、三葉が瀧と初対面を果たすのはやはり電車の中で、3年後の彼等が再開する時は2人が別々の行き先の電車に乗っており、窓越しに互いの顔を見てハッとする…と言う形で再開に繋がる瞬間が描かれている。

そんな中において、『天気の子』に出てくる線路は雨水に浸ってしまっている部分もあって、大人がそのメンテナンスをしている。電車はもはや、機能していない。

それでも帆高は走って陽菜に会いにいく。そしてまた、帆高に対して大人が放つ言葉は静止の促しであったり、蔑みのこもった言葉ばかりなのだ。

しかしそれでも帆高は立ち止まらなかった。線路が雨水に沈み、大人に静止の促しをされ、疎まれ、蔑まれ、自分の選択が狂っている物だったとしても、それでも責任を負う覚悟を決めた子供は走り続ける事が出来る。

 

最終的に陽菜の降らせた雨水は、線路だけではなく東京その物を沈めてしまう。水浸しになった東京の全景に東京タワーは存在しておらず、スカイツリーだけが天に向かってそびえ立っている。

これからは、あるいはもう既に、東京はスカイツリーの時代だ。

 

 

『天気の子』ラストシーン、東京が雨水に沈んでしまっても、人々は地に足をつけて生活を営んでいた。それでもそんな世界で陽菜は何かに対して祈っており、帆高はそんな陽菜に対して「大丈夫だ。」と言った。

須賀は帆高に対して「世界なんて元から狂っている。」と言った。だから、思い上がるな…と。

それはきっと、世界を変えてしまった責任を子供に負わせない為の、須賀なりの"大人の対応”だったのだろう。

しかし帆高は、明確に、はっきりと、須賀のそれを「違う!」と否定した。それでも僕たちは世界の形を変えたんだ、それでも僕たちは、この世界で生きる事を選んだんだ。

新海「僕が描きたいのは、いつも個人の願いの物語です。個人の願いというのは、しばしば学校や社会的にあるべき姿と言うものと相反するわけですが、そんなところから、社会から逸脱していく少年、少女を描きたいという思いにつながっていきました。主人公の帆高というのは、物語のなかで、いろいろな大人に行動を止められます。何度も肩をたたかれて、「何してるの?」と問われる。そのたびに、彼は大人が指したものとは違う方向に進んでいくわけですが、それを描いていて僕はとても気持ちよかったし、応援したくなった。」

(月刊ニュータイプ8月号 『天気の子』特集 新海誠のインタビューより抜粋)

 

「今の子供たちは可哀想、昔の天気は良かった。」と大人は言うが、それでも帆高は雲間から射す太陽の光に笑顔を見せていた。「人柱一人が消えれば天気が良くなるなら、きっと皆その方が良いだろ。」と大人は言うが、それでも帆高は陽菜の手を掴み、そして離さなかった。あの日陽菜と一緒に空から落ちた帆高は、全ての大人の"ぼやき”に対して明確なアンサーを出した。

「もういい!もう二度と晴れなくたっていい!天気よりも、俺は陽菜がいい!天気なんて狂ったままでいいんだ!」

 

 

『天気の子』は、子供が世界に対して祈る事でストーリーが進んで行く。

どうかこの天気が晴れますように、どうかこの人とずっと一緒にいられますように。どうかあの人にもう一度会えますように。

だが、最後の「僕達はきっと、大丈夫だ。」は祈りでは無い。世界へ向けた、生きていく事に対しての宣言だ。

アニメーションにおいて天気とはキャラクターの心情や未来の模様を写す舞台装置だ。しかし、『天気の子』の世界では根本的に天気が狂っている。そんな狂った世界の中心で、降り続ける雨の中、それでも帆高は僕たちはきっと大丈夫だと言った。

だからきっと、『天気の子』は世界に対する子供たちの祈りの物語で、子供たちが狂った人生のその先を、それでもこの世界で生きていく事を選択する決断の物語なんだと思う。

 

全ての子供たちが、その狂える人生に希望を抱きながら生きていけます様に。『天気の子』は、思わずそんな事を世界に祈ってしまいたくなる様な、爽やかで清々しい映画だった。

だから、僕たちはきっと、大丈夫なのだ。

 

 

新海「帆高も陽菜も、作中でいろいろな事情で追い詰められていきます。しかし10代ならではというか、怖いとは思いつつもどこまでも走り続けてしまう。大人だと慎重に立ち止まるような局面でも、彼らは止まらない。とにかく次の場所に行きたいんだ、と言う強い気持ちを抱えている子たちです。

今、そういう子たちの姿を見たいと思いますし、みんなが見たいのは、こういう子たちの姿じゃないかなと言う気もしています。」

(日経エンタテイメント!2019年8月号 全解剖『天気の子』新海誠「次なる挑戦」 新海誠へのインタビューより抜粋)

 

最後のシーンの陽菜は、きっとこんな事を祈っていたのではないかと思う。

「Weathering With You.」

 

 

大丈夫 (Movie edit)

大丈夫 (Movie edit)

 

 

「オールスターズメモリーズ」を観てきた

2018年10月29日、僕は映画館へ観に行くのが恥ずかしくてずっと敬遠して来たプリキュアの映画をついに始めて観に行きました。

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ふたりはプリキュア」が始まった時は小学一年生だった僕が今こうして20歳を迎えてプリキュア15周年の映画を見に来ていると言う事実だけで、映画を観る前から既にある種のカタルシスを感じていました。プリキュアと一緒に大人になれたんだ。俺は。

 

 

 

結論から言うと、HUGっと!プリキュアふたりはプリキュア  オールスターズメモリーズ」プリキュアに関する想い出が少しでもある人には是非見て欲しい映画でした。

何故なら本作(以下「映画HUG」)は、今までプリキュアに注いだ時間と感情が報われる、そんな映画だったからです。

プリキュアが好きな人、好きだった人、好きかもしれない人、全員劇場でこの映画と出会って欲しい。

そして是非この「祭り」「体感」して欲しいのです。

 

 

 

「キラキラ大切な想い出が、皆が、私を支えてくれてる!だから、何があっても踏ん張れる!踏ん張ってみせる!!」

 

 

 

プリキュアは、死なない

映画HUGでは、使われないまま壊れてしまったカメラの幽霊「ミデン」が、プリキュア達の想い出を奪い取り自分だけの物にしてしまいます。

その結果、想い出を奪われたプリキュア達は幼児になってしまいました。

 

 

映画の中盤で、ハリーは幼児になってしまったプリキュア達を元の姿に戻す方法を一生懸命考えます。

幼児になったプリキュア達は、大切な人から想い出を分けてもらう事で元の姿に戻る事が出来ます。しかし、未来から来たハリーとはぐたんにはプリキュア達全員との想い出が無いのです。

 

万事休す!と思ったその時、はぐたんがいきなり第四の壁を叩き始めました。

下手なホラー映画見てる時よりもビクッとしてしまいました。

 

「そうか!まだ君達がいた!」

ハリーが叫びます。

「おーい!映画を見に来てくれてる皆!皆はどのプリキュアが好きや?キュアエールか?キュアアンジュか?プリキュアはたっくさんたっくさんおるで!テレビの前で感じた事を、格好良いと思った所を、好きだった場面を、ミラクルライトに込めてプリキュアに伝えて欲しいんや!1人じゃなくてええ。今まで好きだったプリキュアの名前、全部呼んだってくれ!!」

 

 

俺はね、俺は、スマプリのみんなが大好きで、Goプリの変身シーンが大好きで、みらいとリコとはーちゃんが大好きで、49話が大好きで、キュアエールとキュアマシェリが大好きで、辛い時も苦しい時もなりたい自分になろうと努力する皆が大好きで、憧れてるんだよ。皆みたいになりたくて、願って、祈って、それで今ね、今…………

 

 

プリキュアの世界とコミュニケーション出来てる!!!!

 

プリキュアの世界と繋がれた!!!!!

 

 

「フレ!!フレ!!プリキュア!!!!

 

 

「慰霊」としての映画HUG

映画HUGを観ている途中、僕はかなり「鎮魂」に近い物を感じていました。

鎮魂とはつまり、死者への誠意であり、同時に、今を生きる者へ送る祝福でもある訳です。

 

ミデンはプリキュア達から奪った想い出を集める事で、空っぽな自分の想い出を満たそうとします。

プリキュア達はミデンに対して少なからず敵意を覚えていましたが、野乃はなだけは、キュアエールだけは最後までミデンを見捨てようとはしませんでした。

映画HUGとは、キュアエールになるに至るまでの野乃はなの過去ありきの物語です。

 

 


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「私の中から出ていけ!」
「嫌、私は話したいの!ちゃんと話してくれるまで、出ていかないから!」

 

不条理な事や理不尽な事を経験して心の中が空っぽになってしまう事や、社会や隣人や運命を呪ってしまいたくなる事は、現実でもしばしばあります。

そんな時、僕達の変わりに不条理や理不尽と戦ってくれるのがプリキュアです。

 

プリキュアは、何時だって今を生きる僕達の希望になってくれる存在なのです。


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「ようし!皆行くよ!」

 

プリキュアが15年間育んできた全ての想い出、オールスターズメモリーズの力が劇場の画面を所狭しと駆け巡る様子は本当に夢の様な瞬間で、ミラクルライトが観客と映画を繋いでくれた瞬間だったからこそ、皆の想い出の力で戦い動き回るプリキュア達の姿からは説得力と生命力を感じました。

 

プリキュアは変わって行く。プリキュア以外の物も変わって行く。

それでも、だからこそ、プリキュアに輝く未来を抱きしめて欲しい。

ありがとう。大好きだよ。これからもよろしくね。

 

過去を肯定し、未来を抱きしめる。

映画HUGは、プリキュア達の生命賛歌」なのです。

 

 

「美味しい物食べたり、買い物行ったり、はぐたんのお世話したり、ピクニック行ったり、泣いたり、笑ったり、怒ったり、驚いたり、キラッキラの眩しい想い出、今からたっくさん作ろ!」

 

 

プリキュアは生きている

プリキュアは、おそらくこれからも時代と共に様々な変化を遂げて行くんだと思います。

時にその変化に迎合出来ず、裏切られた気持ちになる事や失望する事もあるのかもしれません。

 

しかし、それでも良いのです。

生きる事は変わる事なのですから。

 

なんでもできる。なんでもなれる。

 

 

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「君の未来は明るいぞ~!」

 

 

 

 

 

 

プリキュアへ。

傷ついて、失敗して、後悔して、それでも生きる事は素晴らしい事なんだって、大人になる事は素晴らしい事なんだって、教えてくれてありがとう。

人はいつだって、誰だって、自分の意思で変わる事が出来るんだって、伝えてくれてありがとう。

この世界は残酷で、どうにもならない事も時にはあるけれど、それでも何度でも立ち上がって、叫んで、祈って、戦ってくれてありがとう。

 

ずっとずっと大好きだよ。